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お店の場所の変遷と、「街は生き物」というお話
当店は、44年という営業時間の中で
2回の引っ越しをしました。
最初は下北沢で始めて代官山へ移り、
銀座へ引っ越しました。
銀座で2回目の引っ越しは、
46年目にして3度目の移転です。
*1981年開店の下北沢店
下北沢の店舗は自分たちで作った
手作り感あふれる素朴なお店で、
今ではほとんど見られない厚い木の
床のすばらしさを感じるお店でした。
そんなお店がぴたりとハマるように
下北沢はまだお店も多すぎず、
現在に比べると、時間の流れは
何十倍もゆっくりしていた印象です。
2軒目の代官山店は、
サルトルというイタリア高級靴店の
後に、居抜きそのまま入りました。
デザイナーは、そこで使われていた
イタリア大理石の実際の特徴を知り、
イタリア職人が来日して造ったという
32工程の壁の経年変化のすご味や
素材や音響などの細かい点に至るまで
イタリアの店づくりの意識を
体感する機会を得ました。
*1992年開店当時の代官山店
移転した頃はまだ
代官山にも同潤会アパートがあって
緑あふれる、ゆったりした街でした。
当時は、散歩自体を楽しむ人のいる
のどかな地域でしたが、ある時から
急にこの街が話題になってくると
買い物客が増え、たくさんの人が
歩くようになりました。
*代官山店はアンティーク家具を
主役にした内装です。
下北沢も代官山も、今思うと
「のどか」という言葉で表せるほど
ゆったりした街、という印象でした。
ところがどこも、10年ほどで
驚くほど変わりました。
少しずつ店が増え、人が増え、
あっという間に街は変化しました。
どちらも同じ方向に変わったね、
とデザイナーは言います。
若い人を中心に動く街になり、
住人の気配を感じられないことが
共通していたかもしれない、と。
*最初の銀座店の開店当初
銀座に最初に越してきたのは
2009年でリーマンショック次年。
下北沢店にしろ代官山店にしろ
「移りたい」と強く感じた理由は、
街というのは生き物であり、
知らぬ間にどんどん変わっていく、
とよくわかったからです。
どうやら15年ほどで
ある方向性で街の変化が完了し、
そこからまただらだらとした
次の変化に入っていく…
自分たちは過去の住人となる訳です。
代官山からは
もっと早く出たいと感じたのですが
なかなか勇気のいることで…
おもしろいことに、
その状況の時に知り合った方が
ちょうど引き金になってくれました。
魚心あれば水心、でしょうか。
渡りに船というか、
待てば海路の日和ありというか。
さて、そんな当店の経歴の中で、
今回の屋移りがありました。
これまでのビルの持ち主が変わって
出ざるを得なくなったのですが、
まさに銀座で16年目のタイミング。
最初のビルに入居した2年後には
3.11があり、その翌年には
銀座は未曽有の、空き物件の多い街に
なっていました。
「これほど家賃が下がったのは
初めてです。」とは
知り合いの不動産屋の言葉です。
銀座を拠点とするタクシー運転手の
言に寄りますと、
2012年2月には、たったひと月で
銀座の飲食店街では、200件以上が
姿を消したそうです。
その後今度は、新型コロナの猛威と
以前の店舗では大変なことが
たくさんあったように思います。
そして現在の銀座。
新築ビルの建築ラッシュがあります。
土・日に歩く人の中に
外国人が多いことはもちろんですが、
乳母車を引いた家族連れが
少し減っている感じがします。
お子さんが大きくなったのでしょうか?
銀座の街がどのように変わっていくか
これからもまた見ることができるのは
みなさまの支えあってのことです。
心からの感謝を申し上げるとともに、
銀座がどう変わっていくかを
お報せする機会も作りたいと思います。
以前書いた
銀座の発祥のお話も含めて、
このブログを
お楽しみいただければ幸いです。